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「労働とは何か?」

「働く理由」95%が「収入を得るため」

先日、戸畑東ロータリークラブ様で卓話の機会をいただきました。

「労働とは何か?」というテーマでお話をしました。普段から働いている私たちにとって、それは日常のことで、意識することはありません。魚にとっての水のようなもので、ほとんど意識されず、考えられることもないのだと思います。

エン・ジャパンが行ったアンケートでは「働く理由」について質問した回答(複数回答可)で、

「収入を得るため」95%がトップになっています。

人によっては「それ以外に理由があるのか?」と思われる方もいるかもしれません。そのくらいにダントツに高い数字です。

続いて多かった回答は「自分の能力・人間性を高めるため」50%と成長に着目した回答でした。

さらに続けると、社会貢献50%、社会的自立30%となっています。

しかし、いずれも1位の95%と比較すれば、かなりの差があり現代人にとっては一義的には働く=収入を得ること、なのです。

この労働の意識は産業革命を経て、変化してきたようです。現代を生きる私たちには100年前の様子を知りません。働くことがどういう意味だったのでしょうか?

そもそも近代化を遂げる過程で、会社が興り、貨幣が浸透しはじめたので、それ以前にはいわゆる「収入を得る」という意識は低かったといえます。国民の大半は農村で暮らしていたわけで、会社に出勤することもなく、給料を得ることもなかった。

働くといえば、農作業だけではなく、家事や育児なども広く働く行為であったのだから、現代のようにワークライフバランスを叫ぶ必要もなかったでしょう。

「働く」の国語的な意味に、「収入を得る」という意味は直接ありません。体を動かす、努力する、戦場での活躍、役に立つように用いる、他人のために努力する、などがその本来の意味です。また「稼ぐ」も、もとは精を出して働く、力を尽くす、これに続き「働いて金を得る」が出てきます。

現代に近づくにつれて、言葉の意味合いも少しづつ変化してきたのでしょう。

「労働」という言葉はLabourの訳語です。勤労、労力、力作とも訳されていたようですが、「労働」に収斂されていったようです。

近代化により欧米からは産業技術だけでなく、学問も同時に入ってきました。Labour(労働)という単語の浸透は欧米の「苦役」としての労働観を植え付けていったのかもしれません。

それだけではなく産業革命の黎明期は女工哀史などに代表されるように工場勤務は過酷であったため、そのイメージも今の労働観に影響を与えているのかもしれません。

ともかく産業革命を経て、生活は以前に比べればずっと良くなったと思います。しかし、幸福感というものはそう簡単に比較できるものではありません。以前より幸福になったかどうかは数値で計測する方法がありません。

わからないからこそ関心を寄せないといけないと私は思います。それはまさに、私たちが普段している「労働」に求めないといけないのだと思います。

私たちにとって「労働とは何か?」を問い、自分たちで定義していくことが人生を豊かにし、社会を豊かにしていくのだと思います。 今回の卓話を機に自分自身、考えさせられました。社会保険労務士としてもこのテーマを心に止めおきたいと思います。

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