以下の文章はある本の引用ですが、いつ書かれたものだと思いますか?
【若者の残業敬遠主義】
このように企業経営者は残業を労働力調整の手段として活用し、労働者は収入増加若者の残業の道を残業に求めるといったもちつもたれつの形で残業が定着しているのであるが、最近残業をめぐる状況に変化があらわれはじめている。それは、残業を拒否したり敬遠したりする若者がしだいに増加していることだ。中高年のサラリーマンは会社や仕事のためなら身体がつづくかぎり何時間でも残業を惜しまないという献身的な態度をとっているが、戦後生まれ戦後育ちの若者は、残業を敬遠してやまない。繊維・家庭電機・精密機械・デパートなど若年労働者が比較的多い企業や、電算機オペレーションやキーパンチなど若者の多い職場では、どうやって若者に残業のモチベーションを与えるかが労務管理上のきわめて大きな課題になっている。
若者が残業を嫌うのは、もちろん初任給が高くなって残業をしなくても食べていけるだけの生活が保証されていることが大きな原因である。金の卵とか月の石とまで表現されるほどに若年労働力の供給が少なくなっているのに対応して、若年層の賃金水準が中高年層のそれよりもハイスピードで高まっていることは統計を引用するまでもなく明白な事実であろう。そして賃金水準の上昇にともなって残業よりも自由時間を選好する意識が強まっている。アクセク働くばかりが人生ではない、少しはノンビリしようというわけである。
ただ、しかし、賃金水準の上昇だけでは若者の残業嫌いを完全に説明することはできない。それはもっと深い問題に根ざしている。技術革新の進行や組織の巨大化にともなう疎外感の増大、公害のタレ流しや売り惜しみ・買い占めなどに象徴される企業の反社会的ビヘイビアに対する批判と不信の高まりといったことも、若者の残業敬遠主義を支える要因の一つとなっている。若者の残業敬遠主義が今後どう展開していくかはきわめて興味のあるテーマである。(残業“日本的”功罪を洗うP19)
文章の表現から、古い本だと察しがつきそうですが、これは昭和50年に書かれた本です。
つまりはここで書かれている若者とは団塊の世代で、今でいえば70歳くらいの方になるのでしょうか。
当時の若者も、自由な時間を大事にしたい、会社に尽くすよりも自分の生活を優先したいという感覚を持っていたようです。しかもその背景には、給与水準の上昇だけでなく、企業組織の巨大化による疎外感、公害問題への不信感、企業の社会性への疑念などがあったといいます。
これ、今の時代と何が違うのでしょうか?
確かに時代は変わりました。テレワーク、ワークライフバランス、メンタルヘルス……労働環境も意識も大きく進化しました。でも、「若者は価値観が違う」という構図は、まったく変わっていないのです。
だからこそ、ここで大事にしたいのは、“価値観の違い”を「どっちが正しい・どっちが間違っている」と決めつけないことです。
誰かが残業をしないのは、やる気がないからではなく、大切にしたいものが違うからかもしれません。誰かが一生懸命働いているのは、評価されたいという気持ちよりも、責任を果たしたいという信念かもしれません。
人はそれぞれ、働く意味や働き方の「軸」を持っています。それを優劣で測るのではなく、どう向き合うか、どう活かすかを考えることが、経営や人事の“これから”に求められているのだと思います。
時代は変わっても、価値観のずれとの向き合い方は、私たちが学び続けるテーマなのかもしれません。