私たちが普段使う「労働」という言葉ですが、実はそれほど古い言葉ではありません。
実は「労働」という言葉は、もともと「労動」と書かれていました。(人偏がない「動く」の字)
しかも、「働」という字は日本で生まれた、いわゆる“国字”で、中国にはなかった漢字です。
つまり、労働という熟語自体が、明治以降に作られた比較的新しい翻訳語であり、「骨折って苦しみながら身体を動かすこと」というニュアンスをもっていました。英語のlabour(レイバー)の翻訳から来ています。
「労」は、もともと「力を尽くす・骨を折る・苦しむ」という意味を持つ漢字です。
古い字形は「勞」と表し、構成としては「火が屋根を焼く(災難)」+「力」を出している様子。
つまり、災難から家を守るために力を振り絞る、大変な思いをすることを表していました。
「働く(はたらく)」という言葉は、体を動かす、何かのために役立つ、あるいは心が動く、といった多様な意味を持っていました。そこには、今のように「義務」や「苦労」のイメージはあまり感じられません。
この言葉の違いを知ると、今の私たちが「働く」ことにどれだけ“制度的な重み”や“社会的な義務”を乗せてしまっているかがわかります。時代とともに言葉が変わり、意味づけも変わっていきます。
「労働」という言葉が、近代日本が欧米の経済思想を取り入れる中で定着していった歴史を振り返ると、そもそも私たちの“働くこと”へのイメージも、社会の変容という枠の中で形づくられてきたのかもしれません。
人材不足が経営課題となる今、あらためて「なんのために働くのか?」という問いを立て直すことが大切なのだと感じます。